2007年08月10日

雑感-番外編- 【シュートを打とう!】〜続き〜

前回の続きから

シュート数そのものが少ない、つまりシュートを打つことに消極的な状況下で、ドリブル突破などの個人技を駆使してもシュートを打つかは疑問


さて・・・・・・

そもそも何でシュートを打たないのか?

ここで考えなければならないのが【責任】です。


サッカーは全体的にはチームスポーツだけど最終的な局面『シュートを打つ』場面に関しては個人スポーツ

そう最終局面において『シュートを打つ』か『パス』か『ドリブル』かを個人が判断しなければなりません。

シュートを打つ=必ずゴール(得点)が直結している考えでは、そのプレッシャーは計りきれません。


例えば昨年のW杯の状況を思い出してください。

誰もが唖然とした場面があったはずです。

何でそこでパスをする・・・・・・

その人にとってはより確実にゴール(得点)を狙うためにパスを出したのかもしれません。

しかし、それは単なる責任逃れの何物でもありません。

>自分がシュートを打って外したらどうしよう?

>せっかく苦労してゴール前まで全員のチームワーク・汗を掻いて体力を使って運んだのに、勝手に個人の判断でシュートを打ってゴールできなかったらどうしよう?

>批判されたらどうしよう

そう彼らが思ったのか無意識にそんな感情が存在したのか、どちらにしてもそんなマイナス思考が存在したことだけは確かです。


そこで考えるべきは

『シュートを打つ事へのプレッシャーを減らせないか?』

シュート=ゴールという認識ではなく

ゴールをシュートを打った結果の副産物として捉えられないでしょうか

※甘甘な考えであることは重々承知していますが、現状(前回の資料1〜3を参照)を考えれば、コレが日本人にとって最良の考えではないでしょうか?

責任逃れのパスが横行する中、シュートを打たなければならない責任をもっと明確にすべきだと思います。

※シュートを外してしまった責任は、守備でもう一度貢献する等々何でも出来るけど、責任を擦り付けて他人にパスした責任は取り返しがつかない。

シュート技術の上達とゴール数を増やす為に、今現在の日本に必要なのはシュート数を増やすことです。
容易くゴールが増える訳ではありません。
しかし、失敗をしなくては技術の向上はありえません。
失敗をしなければ改善点そのものが分からないのですから


チャレンジ(シュートを打つ)する事を恐れない

失敗して何が悪い

シュートを打たなきゃ何も始まらない


そもそもサッカーは足でボールを扱うスポーツ
正確なコントロールが中々出来ないのは当たり前
ましてやGKやDFがゴールを奪わせまいと必死にユニホームをひっぱたりタックルをしてくる状況でコントロールしなくてはなりません。
ましてや芝やギャップでイレギュラーもあるのですから

どんなに世界的なプレイヤーでも、よっぽど実力差がない限りは、シュートを外すときは外すんです。


『必ずフィニッシュで終わる』→『必ずシュートで終わる』に意識をチェンジした方がいいかもしれない。フィニッシュという意味には必ずゴールするという義務感(強制的な圧迫感)が含まれるような気がする。


あとプレイヤー以外の意識で言えば

シュートを打たない責任をもっと追及する雰囲気を作るべきなのかな

ゴールに異常に執着でも結果を褒めないで過程を褒めてしまう
(シュートした本人よりパスの出し手を賞賛してしまう)

プレイヤーの意識改革もそうだけど、それを評価する方(観客・メディア・クラブ・協会)の意識改革がもっと重要なのかもしれない。

こっちの意識改革のほうが難題なのかもしれません(苦笑)

ハッキリ言って短期間で改善が見られるような代物じゃありません。

でも今植えないと芽そのものが出ないことは確かです。


サッカーを見る目が少しでも変わることを願ってやみません。
タグ:雑感
posted by Daft at 19:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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